大正寺おけさのルーツ

○大正寺おけさのルーツとは?
 ハイヤ系民謡「大正寺おけさ」のルーツに関する詳細を掲載しました。
daishoujiokesanoru-tu.pdf


○大正寺おけさのルーツとされる長崎県平戸市田助ハイヤ保存会の皆さん


ハイヤ系民謡「大正寺おけさ」の復活と夢

平成17年1月11日、秋田市、河辺町、雄和町が合併しました。旧雄和町は、秋田市の南に位置し、昭和三十年代に川添、戸米川、種平、大正寺の村が合併した歴史がある。雄和地域のほぼ中央を雄物川が流れ、肥沃な土地がおいしい米づくりの源となっている。
さて、雄物川といえば河川交通が主要な時代、筏や川船が往来し、秋田市土崎港まで米、木材、炭などを運び、土崎からは日用雑貨や砂糖、衣類など運ばれ流域住民の生活を支えてきた。
私の住んでいる秋田市雄和新波町内には、昔、河港があり旅館や食堂なども港周辺に立ち並び冬の木材の運搬時には数百メートルにもおよび馬そりの行列が新波町内に並んだそうである。昭和三十年代には映画館もあり、近隣の住民がこぞって映画鑑賞に訪れ、流行の先取りをしていたのである。映画館の面影は今はないものの、建物は車庫として残っている。いつか、仲間たちと企画し、地域の人たちに当時を偲んでもらえる映画の上映会を企画したいものである。私が知る限り、白馬童子、月光仮面、月形半平太など記憶に残っている。さて、河港は、物や人の運搬だけでなく文化も運んでくれた。私たちが行っている「大正寺おけさまつり」も民謡「大正寺おけさ」が日本海を往来していた北前船の船頭衆によって荷待ち、風待ち、の中で各地の港に音曲を残し、秋田の土崎港から雄物川を遡上して伝わったとされている。これまで、「おけさ」のルーツを探る親戚探しも進めてきた。一番手に白羽の矢を向けたのが、長崎県平戸市、ここには「田助ハイヤ節」というハイヤ系民謡が地域の人たちによって残され、平戸市の「田助ハイヤまつり」として一大イベントを行っていたからである。
平成5年10月に雄和町から七十五名ものおけさ軍団が平戸市のイベントに参加、平戸市民の度肝を抜いたのである。その後、平成11年雄和町で第5回全国ハイヤサミットが開催され、熊本県牛深市、長崎県平戸市、島根県浜田市、広島県三原市、新潟県小木町・赤泊村・相川町、青森県鯵ヶ沢町・名川町などから市町村長とともに民謡団体が集い、ハイヤ系民謡を後世に残すため全国ハイヤ系民謡連絡協議会を設立、ハイヤ系民謡の保存継承や後継者育成など互いに手を携え取り組んでいく「異地域同文化」を提唱する文化継承団体である。

夢は大きく、いつの日か関係する都道府県の多くの郷土出身者が生活している日本の都、東京で「全国ハイヤ民謡の祭典」をNHKホールを舞台に郷土物産の香りを添えて開催することである。私たちは、首都圏で生活している郷土の方々に伝統文化保存継承の意義を唱え、郷土の近況と香りを届け、私たちにはふるさとへの想いと応援をお願いし、新たな気持ちで郷里でがんばるエネルギーを持ち帰りたい。そんな私たちの想いを実現したい。(H17.04.23)

秋田市雄和地域に伝わる民謡「大正寺おけさ」は九州西海岸で生まれた「ハイヤ節」が元唄といわれている。ハイヤ節の特徴は、唄の中に「サーマ」が入っていること、大正寺おけさにも「サーマエ」がありまさしくハイヤ節の兄弟であります。
昭和59年、町内会の会合で、日本民謡集に「大正寺おけさ」という民謡が掲載されていて、大正寺地域が唄の発祥であることを話題にしました。その場に居合わせた地元の小学校の教頭先生が全国教頭研究大会(仙台市)の時、記念講演で文学博士浅野建二先生が「東北のこころ」と題して講演、その中で大正寺おけさの民謡テープが披露されたことを思い出してくれた。この話がきっかけで、即日この民謡が現有するのか民謡関係者などに問い合わせ調査活動に取り掛かかりました。
昭和30年代の浅野善十郎氏が唄った「大正寺おけさ」はテープで残っていたものの、伴奏を含め演奏できる人がいないことなどから復元する手段など暗礁に乗り上げかけていました。
そんな折り、民謡のことならと、当地域神ヶ村出身の三味線名人位、浅野梅若師匠に尋ねたところ弟子の浅野和子に唄わせたLPレコードがあることを聞き、「大正寺おけさ」探しの思いを話し、師匠に唄と伴奏、踊りの振り付けをお願いし、承諾を受ける。
まずは「大正寺おけさ」の唄で盆踊りを広めたいというねらいから、地域の婦人会や若妻会、子供会に踊り講習会の参加を促し、理解と協力のもと大正寺小学校の体育館で講習会を開催した。講習会の指導には、浅野梅若師匠をはじめ、梅若会の一行が伴奏、唄、お囃子で竹内あや子さんの創作した踊りを披露、和やかな雰囲気の中で講習が行われました。
雄和地域は、民謡家を多く排出している地域でする。その中でも三味線名人位の浅野梅若師匠、初代日本民謡梅若会会長(故)梅若梅朝<平成12年12月没>、民謡日本一(故)長谷川久子、京極利則が民謡「大正寺おけさ」の復活に思いを寄せていました。
昭和60年、新波商店街で第1回目となる「おけさの郷の夏祭り」の開催に、祝福に駆けつけ、まつりに華を添えました。こうして、地域を挙げて取り組んできた新たな地域イベント「大正寺おけさまつり」が誕生したのです。

実行委員会では、民謡の復活を果たしたものの、更なる目標としてハイヤ系民謡としての発祥地探しをはじめました。

平成5年には、交流団を募り平戸市の「平戸田助ハイヤまつり」に75名が参加、平戸市を表敬した伊藤雄和町長から全国で保存継承されているハイヤ系民謡の所在市町村が一堂に会し、文化交流するサミットの開催を提案、平戸市長から共に活動していくことを確認しました。そして、雄和町から参加した踊り手50名は、田助ハイヤ節の踊りを商店街会場で披露、平戸市民からの暖かい声援を受けました。また、応援隊25名は平戸市民に秋田の酒や雄和町のりんごを振る舞い田助ハイヤまつりに華を添えました。以後、交流は続き両首長をはじめ、議会など官民相互交流に広がっていきました。(H17.04.01)